佐々木郁夫のぶろぐ
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プロフィール
HN:
佐々木郁夫
年齢:
72
性別:
男性
誕生日:
1952/04/10
職業:
観光通訳ガイド
趣味:
音楽、絵、人を楽しませること
自己紹介:
1978年スペインに渡る。
フラメンコギターをパコ・デル・ガストールに習う。
ドサ回りの修行の後、観光通訳ガイドをはじめる。

現在、
日本人通訳協会会長、
SNJ日西文化協会副会長、
マドリード日本人会理事。

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フラメンコ談義・10
*「アモール・デ・ディオス」の稽古場 *

私が部屋を借りることになったペンションから、スタジオのある「アモール・デ・ディオス」通りまで歩いて5分ぐらいでした。 スタジオの上にも「オスタル・グランハ」(ペンション)があり、日本人のギタリストや、踊り手が住んでいました。

 『はじめに「TERESA」に紹介するから、・・まあ、ここの主のような踊り手かな、多分世話になると思うから。』と、TAKEMORIさんから話を聞きながら、私は初めて「アモール」(フラメンコ・スタジオ)に入りました。はじめに、受付の「マリア」というおばさんを紹介してもらい、『オラー、と言えば良いから』と聞き、そう挨拶しました。 TAKEMORIさんと「マリア」おばさんが話していることは分かりませんでしたが、・・「この友達も、ギターを勉強に来たのでこれからよろしく。・・あ、名前は、“アルボンディガ”と言うんだよ。」「(笑いながら)ホントにー ?」とか言っている様子なのが雰囲気で分かりました。

アモールのスタジオ( アモール・デ・ディオス通りのフラメンコの稽古場 )は一階と地下に大小の練習部屋があり、時間単位で部屋を貸し、それぞれの踊り手が部屋を借り練習をしたり、プロの振付家や、プロの名の有る踊り手がグループレッスンや個人レッスンの教室を開いたりしているスタジオで、いろんなプロのアーティストも出入りしていました。

 私は緊張してTAKEMORIさんの後について行き、階段を下りてすぐの練習部屋に入りました。 そこは、TERESAさんの練習部屋で、日本人のギタリストが二人( “MASUKO―CHAN”と“KUJIRA―KUN”―愛称― )が伴奏していました。私は緊張してかたくなり、丁寧に挨拶したのか、「もっと気楽にしたら」と言われたことを覚えています。TERESAさんの踊りの伴奏にTAKEMORIさんも加わりました。 踊りの伴奏をほとんど経験していない私は、何度もコンパス(リズム)を見失い、難しくて分かりませんでした。(「みんな、すごいなー !」 と驚きました。) 

翌日から、それぞれ三人の先輩の横でいろんな踊り手の伴奏が出来ました。新しく来た私をこころよく受け入れてくれたことがとても嬉しく思ったものです。

お世話になったTAKEMORIさんは、私が来てから、一ヶ月ぐらいで帰国しました。 同じペンション(1号室と5号室)だったので、ギターを弾き合ったり、一緒に食事に行ったりしていましたので、彼が日本に帰った時、大変心細く思ったのを覚えています。 彼からは、5千ペセタでスタジオ用のギターをわけてもらい、このギターを持って月曜から金曜までアモールのスタジオに通い、おもにTERESAさんの部屋で弾かしてもらいました。
( 多くの思い出を共にしたこの「5千ペセタのギター」は今も大切にしています。)

 彼女の練習の後は、皆で近くの「BAR」で「カーニャ」(小さなコップいっぱいの生ビール)をよく飲みました。

『アルボンディガ、ほれ、ボンちゃん、皆の飲み物を注文して、お金も払って・・・冗談冗談。・・はい、スペイン語の練習!!』とか言われ、注文させられました。 出来ないスペイン語をよく聞いてくれ、また正しく直してくれたのが、この“かどのバル(BAR)”で働いていたスペイン人のお兄ちゃん、名前を確か、「パスクアル」といいました。私が「ポルファボール」(お願いします)と注文の前につけると、パスクアル兄ちゃんは「シン、ファボール」(お願いしますは言わなくても良いよ !)といいながら、いつも笑って会話の練習をつき合ってくれました。 

そういえば、ペンションのおばちゃんも、よく、「辞書を持ってこっちにおいで」と家族の居間に誘ってくれ、「今話しているのはこれについて」と西和辞典を引いて指で教えてくれました。後は、おばちゃんがスペイン語の単語を言って、私に『ブスカ、ブスカ』(辞書でさがしなさい!)・・・といってくれました。 この100キロ近かった“肝っ玉おばちゃん”にも、感謝しています。
多くの人たちのおかげで、スペインでの生活にだんだん慣れていきました。

ある日、アモールのスタジオに行くと、TERESAさんがスペイン人の踊り手たちとなにやら嬉しそうに、少し興奮しながら話していました。
 それは、パコ・フェルナンデス(国立舞踊団に所属していたフラメンコ舞踊振付家)のクラスレッスンがまた始まるという事でした。 彼のクラスは、プロのギタリストと歌い手のついたレッスンで、我々ギターを学びに来たものにとっても嬉しい限りです。是非クラスで弾かしてもらいたいと思っていました。

しばらくして、パコ・フェルナンデスのクラスレッスンが、カルデロンのスタジオ(アモールのスタジオの近く)で始まりました。初日のレッスンに来た踊り手のなかには、メルチェやカルメンモーラをはじめ、プロの人たちも多く、異様な熱気がありました。
そして、TERESAさんのおかげで、スペイン人の横で、我々日本人のギター弾きもクラスで弾けるようになりました。
 
このパコのレッスンもその後、「アモール・デ・ディオス」のスタジオに移り、私は三年ほどパコのクラスでお世話になりました。また、タティーのクラスレッスンや、プロの踊り手の伴奏も出来、私は本当に多くのことをこの「アモールの稽古場」で学びました。

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日本に帰ってきました。
ふじかわ夫妻
昨夜はバル巡りにて、お世話になりました。旦那が二件目にして酔っぱらいご迷惑おかけしました。。。今日無事帰国しました。マッシュルームメチャクチャおいしかったです☆カンドー!!ぼんちゃんに出会えて楽しい時間を過ごすことができよかったです!今度行くことがあればぼんちゃんの演奏ぜひ聞きたいです。またブログで(*^_^*)
Re:日本に帰ってきました。
佐々木郁夫
無事に帰国され何よりです。旦那さんが2件目で、といってもコップ一杯ぐらいのワインで酔われ、3軒目、4件目の「つまみ」を「酔っ払って食べられないのが残念!」・・・という顔が印象的でした。お持ち帰りにした「牛の生ハム」は朝食に食べましたか?
また、美味しい物を食べにスペインに来てください。お待ちしています。
ささき



>昨夜はバル巡りにて、お世話になりました。旦那が二件目にして酔っぱらいご迷惑おかけしました。。。今日無事帰国しました。マッシュルームメチャクチャおいしかったです☆カンドー!!ぼんちゃんに出会えて楽しい時間を過ごすことができよかったです!今度行くことがあればぼんちゃんの演奏ぜひ聞きたいです。またブログで(*^_^*)
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ぼんちゃん紹介

本名:佐々木郁夫
誕生日:1952/04/10
職業:観光通訳ガイド
居住地:マドリード
役職:日本人通訳協会会長、マドリード日本人会理事
連絡先:こちら

あだ名は「ぼんちゃん」。これは、フラメンコギタリストとして、"エル・アルボンディガ(ザ・スペイン風肉団子)"という芸名を持っていたため。アルボンディガのボンからぼんちゃんと呼ばれるようになった。
案内するお客さんにも、基本的にぼんちゃんと呼ばれる。このため、本名を忘れられてしまうこともしばしば。 続きを読む

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