佐々木郁夫のぶろぐ
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プロフィール
HN:
佐々木郁夫
年齢:
72
性別:
男性
誕生日:
1952/04/10
職業:
観光通訳ガイド
趣味:
音楽、絵、人を楽しませること
自己紹介:
1978年スペインに渡る。
フラメンコギターをパコ・デル・ガストールに習う。
ドサ回りの修行の後、観光通訳ガイドをはじめる。

現在、
日本人通訳協会会長、
SNJ日西文化協会副会長、
マドリード日本人会理事。

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フラメンコ談義 2

* サックスからフラメンコギター *
 
小学6年生のころ、6000円のギターを手に入れたあと、世の中、ビートルズから、フォークソング、ベトナム戦争、ビートルズ解散、70年安保、と移り変わる時代を私は、小学生から、中学生、ブラスバンドでアルトサックスをはじめ、「アメリカ海兵隊」の行進曲を運動会などで演奏し、そして、高校ではテナーサックスに変わり、学校の校歌以外は、すべてクラッシクとジャズのビッグバンドの曲を演奏して楽しんでいました。バンドの名前も、『シャープ アンド ナチュラル』。 

当時、町や大学では、色とりどりのヘルメットと、かく棒や火炎瓶に対し、装甲車に守られた重装備の黒い集団とが衝突していました。 今も世界のあちらこちらで、投石と火炎瓶に対して、戦車と重装備の武装集団が衝突しています。
 
高校のブラスバンドのクラブでは、アメリカの行進曲は一切演奏しないことにしました。それは、ベトナムの人達のことや、いやでも前線に送られる同世代のアメリカ人のことも考えたからです。生徒会(有志)として、戦争反対のデモもしました。
 無届でデモを強行した時、生徒会担当の先生が警察に届けてくれていたお陰で捕まりませんでした。上からは「デモ」をさせるなと言われていたはずなのに、デモの間中、生徒を警察から守ってくれていました。・・・・・・・・・・・( エライこの先生!!)

さて、こんな時代に私は『フラメンコ』と出会いました。それは、ビッグバンドの楽譜を探していた時です。 『フラメンコギター教則本』というのを何気なく見てびっくりしたのです。ラスケア‐ド(フラメンコギターのテクニック)を、32分音符で表わされた楽譜で、ほとんど真っ黒でした。これってどんな音の表現なのか想像もつきませんでした。
 早速レコードを探し、『サビカス』、『ニーニョ リカルド』・・・・・・

京都は、十字屋という楽器店の『西村健太郎・フラメンコギター教室』でフラメンコギターを習い始めました。 自分が夢中になれる何かを探していた時に出会い、フラメンコギターにのめり込んで行きました。ブラスバンドでジャズの「スイング」をサックスで楽しみ、家に帰ると勉強もせず、ギターを寝るまで弾いていました。 
 そして、学校までギターを持ち込み、昼休みや、放課後に練習していました。二十人弱で演奏するクラブのサックスより、ギターソロのフラメンコのほうが面白くなっていきました。 

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ぼんちゃん紹介

本名:佐々木郁夫
誕生日:1952/04/10
職業:観光通訳ガイド
居住地:マドリード
役職:日本人通訳協会会長、マドリード日本人会理事
連絡先:こちら

あだ名は「ぼんちゃん」。これは、フラメンコギタリストとして、"エル・アルボンディガ(ザ・スペイン風肉団子)"という芸名を持っていたため。アルボンディガのボンからぼんちゃんと呼ばれるようになった。
案内するお客さんにも、基本的にぼんちゃんと呼ばれる。このため、本名を忘れられてしまうこともしばしば。 続きを読む

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