「 エル アルボンディガのフラメンコ談義 」
( はじめまして )
「フラメンコって、なーに?」と子供がお父さんにたずねている。『それは・・・、え~と、・・・そう、 メキシコの音楽だ!』とは、お父さんの答え(?)。東京は、新宿のフラメンコ・ショウが売り物のレストラン、老舗とも呼べる『エル・フラメンコ』の店の前でのこと。私が、五年ぶりに帰国した時のことでした。 この会話を耳にした私と友人。自然と顔を見合せながら、『ホーデー!』( えっ!まいったな・・・ )。 その翌日も・・・「珍しい日本のフラメンコ見る?踊りの最後にまずギターだけが終わって、それから踊りが終わるんだよ。ボンちゃん(私の何十年にも渡って今まで変わらぬ愛称)、どう?」と、私が習ったフラメンコの先生、半信半疑で見に行くと、本当に踊りとギターの終わりがバラバラでした。 ここでも、 『ホーデー!』・・つい出てしまいました。
東京から京都に帰り、高校の時の友人と、久しぶりに会い、「すし」、「天ぷら」、「うどん」・・をご馳走になり、友人のボトルが置いてある店に行き、カウンターで「きんぴらごぼう」をあてに、飲んでいると「演歌」(氷雨)が流れていました。またまた『えっ!』・・・すごく、ジーンとくる自分に驚きました。
自分の家に帰り、あれだけ練習していた畳の部屋で、久しぶりに会った母親にどうしてギターが弾けなかったのか、・・・この時の気持ちも心の中に鮮明に残っています。
いつ、どうして日本人である自分が『フラメンコ』を好きになり、スペインまでやって来て、そして今もスペインに居るのか? ・・・・・・
スペインのアンダルシア地方からマドリッドに久しぶりに帰って来た時、「ずいぶん違うな~ 」と感じたものでした。 そして、この五年ぶりにマドリッドから東京に戻った時は「まったく違うな~ 」と感じました。
・・・歌舞伎町のネオンに声を出して驚き、美味しいそばを食べ、演歌が聞こえるパチンコ屋の横をとおり、・・・。
そしてまた、自分が生まれ育った京都に帰り、加茂川の四条大橋を渡る舞妓さんとすれ違い、祇園の屋台でサザエの“つぼ焼き”を食べ、久しぶりの友達と飲んだ後のラーメン・・・・。 自分の回りのすべてから、『お前、日本人とちがうの!』『何でまた、フラメンコなんや?』と責められているように感じ、その答えがなかなか自分の中で見つからなかったことも、よく覚えています。 ・・・・・・・。
さて、『フラメンコ』って本当に何なのでしょうか、どうして人の心のこんな奥深いところまで強烈に入って来るのでしょうか? それも私たち日本人の心にまで。
[8回]