フラメンコ談義
第21回
ブレリアのコンパス(リズム)は「6拍」の繰り返し~?!!
“ エンリケ エル コッホ ”の舞踊教室
「トゥリアーナ」のカンテフェスティバルが終わり、このフェスティバルで知り合った日本人と一緒に、揚げたての「チュロス」を食べに行くことになり、トゥリアーナ橋を渡ろうとしたとき、目の前に、グアダルキビル川と旧市街、「ヒラルダ(大聖堂の尖塔)」、「黄金の塔」とスペイン広場の二つの塔、遠くの地平線、それら全てをつつみこむ雄大な朝焼けが広がり、太陽と供に東からゆっくりやって来る、やさしい光とさわやかな風・・・、おもわず深呼吸をし、その心地よい光と風の音を聞きながら、橋の上でしばらく立ち止まっていました。
およそ8時間もフラメンコにどっぷり浸かり、ほとんど歌詞の内容がわからないカンテを聴き続けて疲れきっていた全身を、今まで見たことのないスケールの朝焼けと、昇り始めた太陽が癒してくれているようでした。
私たちは、橋を渡り、闘牛場の横を通り、「ヒラルダ」を目指して歩き、そして、「大聖堂」から「アルカサール」の横を通り、ジャスミンの香りが漂うサンタ・クルス街にはいり、ムリーリョ公園まで、静かな夜明けの街に響く足音を聞きながら歩いて行きました。大きなゴムの木のそばに来た時、突然、おおきく聞こえてきた小鳥の“さえずり”に、はっと我に返りました。直径2メートルはある大きな木を見上げると、不気味なぐらい多くの鳥の黒い影が、鳴きながら動いていました。
広い通りを渡ると、「ウトレラ」や「モロン」、「ヘレス」などの町へ行く時のバスターミナルとレンフェ(鉄道)のカディス駅です。
『チュロスの店はもうすぐだよ。』と聞くと急にお腹がへってきました。
駅の横にあった屋台の揚げたての「チュロス」はとても美味しく、他では食べたことがありませんでした。この屋台で使っている油は100%「ラード」と言っていました。( 最近は「ラード」は身体に良くないといって、「ひまわりの油」を使う店が多くなりましたが、あの味が忘れられません。)
この時、一緒に「チュロス」を食べた日本人は、ギタリストで、もう何年もセビージャに住んでいる「マノ」さんと、「チャンケ」さんという人でした。
彼らには、その後、どのようにスペイン人と付き合い、生活の中にあるフラメンコと出会うかや、それぞれのフラメンコに対する追求の仕方や自分自身とのかかわり方などの話を聞かしてもらいました。
二人とも、私に「アルボンディガ」というニックネームを付けた『ぺぺ』を良く知っていて、身近に感じてくれたのか、会うといろんな話をしてくれました。
・・・『この前、ヘレスで、小さなBAR(バル)から「カンテ」が聞こえてくるから入ったら、あの、「ボリ―コ」( EL Borrico ---ヘレスのカンタオール)だったんだよ! 知ってる? ボンちゃん、・・・生の声が聞けたんだ!! 』・・・『「ボリーコ」ですか?・・・知りません。』
『・・・ん、 踊り手の「エンリケ・コッホ」は? 今レッスンやっているから、行けば、弾かしてくれるよ。』・・・と、「チャンケ」さんに教えてもらい、早速、エンリケ・コッホのレッスン場に通いました。
近所の子供達も通うレッスン場は住宅街にあり、ふだんの生活の中で、フラメンコを習うことは、ここでは自然なことであり、「さすがセビージャだな~」と、そのセビージャに自分が今いることを嬉しく思いました。
Enrique el Cojo ( エンリケ エル コッホ )は、セビージャの名高い舞踊教師で、有名なプロの踊り手も習った事を話題にします。また、彼のバイレは“フラメンコの神髄を伝える踊り”といわれています。
・・・『日本からフラメンコギターの勉強に来たのですが、あなたのクラスで弾かせてもらえますか ?』 ・・・と、なんとか話せ、『いいよ、いいよ、』と言いながら椅子を用意してくれる彼を見て、足が悪いことに気が付きました。
中学生位の女の子がはじめレッスンを受け、次にプロの踊り手(女性)が、腕と手、そして、指の動きを主に質問しながら「ソレア」と「ブレリア」のコンパス(フラメンコのリズム)で、短い振りをいくつも教えてもらっていました。
私は、ほとんどギターを弾かず、エンリケの身体全体から「ドー~ン」と伝わってくる『何か』に魅せられて椅子に座っていました。彼の「目の動き」にも、「指の先」にも、「肩の動き」も、コンパス(リズム)にピタッーと合っているのです。
心の動きから、呼吸の揺れ、そして足へ、腕へ、手へ、指に、最後は、目でコンパスを〆るのです。・・・彼の息ずかいが聞こえ、目の表情から、身体全体から、感性と思索の表現の「何か」が伝わってくるのです。
サパテアード(踊りの足の技)は逆にその表現の邪魔になるかのように、・・・機械的なテクニックが何なの? それより大切なものがあるやろ! “ フラメンコ ”が。・・・・と、凄い心のこもった、気持ちの入ったレッスンを受ける側も、強烈なエンリケの「アイレ」(フラメンコの雰囲気)に引っ張ってもらいながら「大切な何か」を学んでいけるようです。
私は、彼の強烈な“アイレ”に驚き、また、コンパスにも驚きました。
「なに?これ!~、ブレリアのコンパスは12拍子の繰り返しと違うのか!」「6泊の繰り返しが、何でこんなに続いていくの?」とビックリしました。そのエンリケの『半分のコンパスの振り(踊り)』が具体的な何かを語っているようなのです。
たとえば、こんな事を、・・・・『仕事も金も無いって?』(6泊)・『世の中が信じられないって!』(6泊)、『お前さんに言うけど、いいか、』(6泊)、『パンが欲しいという我が子に、石を与える親がいるか?』(6泊)・『魚が欲しいという子に、蛇を与える親がいるかよ!?』
(6泊)・・・『まじめにやってりゃ~上手くいくっていう事を信じろってよ!』(6拍)・・・と『6泊の踊り』が続き、最後に『だって、神さんはよ~、俺らの親だろ~が!!』と言って踊りをキメテ(〆て)終わる。・・・というように。
Enrique el Cojo ( エンリケ エル コッホ )は、フラメンコのカンテ・ホンド(深い歌)をも、自分の心と身体全体の動きで表現できる人であると同時に、とても、やさしく、面白い“おっちゃん”でした。
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