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「ニックネーム」の『アルボンディガ』が、
『El Albondiga』 という 『芸名』に!
南スペイン アンダルシア地方で、
フラメンコは生まれました。
*印、以下をご参考ください
* 南スペイン アンダルシアの旅 <クリック
*お客さんを、『タブラオ・フラメンコ』にご案内した時に、
「入場料」を値切って、フラメンコの説明をします。
『フラメンコ』の「リズム」を、私が「手拍子」と「口(舌)音」で、
「表打ち」と「裏打ち」の音(アクセント入り)の『絡み』を
聞いて貰います。
* お客さんは、『なんでそんな「リズム」が打てるのですか?』
・・・『私は昔、「ドサ周り」で、ギターを弾いてたんです。』
*『また、また~、、本当ですか ?、、冗談でしょ!!!』
・・・『スペインの、いろんな街の「ナイトクラブ(キャバレー)」の、
『ショウタイム』で、、つまり「ストリップの前座」ですよ。
・・・お客さんは、『・・本当かな ?・・・』
と、信じてない方が多いのでは?、、と思われます。
ですから、改めまして、『自己紹介』を兼ねて、
私の「エッセイ」を紹介させて頂きます。
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「エル・アルボンディガ」の
『フラメンコ談義』(エッセイ)
(フラメンコを始めた高校生の頃から、「ドサ周り」の仕事をする前までの『エッセイ』です。)
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* 「ニックネーム」の『アルボンディガ』が、
『El Albondiga』 という 『芸名』になってしまいました。
(クリックで拡大)ぼんちゃんこと、El Albondigaがペーニャ・フラメンコのフェスティバルに出た時のポスター。
ペーニャ・フラメンコとは、フラメンコ愛好家がプロ、アマ問わず集まる組織。
赤枠の中に、芸名であるEl Albondigaの名前と、Japones(日本人)の文字が見える。
< フラメンコ談義 9 >
*「アルボンディガ」の名付け親である、「PEPE」との出会い
30キロの荷物とギターを持って、パリの駅でマドリッド行きの夜行に何とか乗れ、パスポート検査を国境近くで受け、書類を3枚も渡され、辞書を引いてもさっぱり分からず言葉が通じない世界を初めて経験しました。
マドリッドのチャマルティン駅からタクシーでペンションにやっと着き、知り合いのギタリスト「TAKEMORI」さんに会えてほっとしました。
一日260ペセタ(当時800円ぐらい)の、空いていた小さな部屋に荷物を入れ、彼からペンションのことや、スタジオ(フラメンコの練習場・通称「アモール」)のこと、彼が紹介してくれる踊り手やギタリストのことなどを教えてもらいました。
これから生活する部屋で荷物を整理していると、『PEPEが来たから紹介するので、俺の部屋に来てくれる。』と呼ばれ、部屋に行き、紹介してもらったのが、昔、私がはじめにギターを習った西村健太郎さんからも聞いていた、有名な日本人ギタリストの「PEPE」でした。
挨拶をし、今朝マドリッドに着いたこと、日本でどうフラメンコと接して来たのか、・・など話した後、
『あなたも、スペインの名前が無いとスペイン人が覚えられないから、・・・彼(TAKEMORIさん)は“バンブー”なんだけど・・・あなたは~・・・そう、“アルボンディガ”・・・かな、いいだろ?』とPEPE。・・・『いいいい、最高』とTAKEMORIさん。・・・二人で大笑い。
訳のわからない私まで笑ってしまいました。笑った私の顔を見て一人はまた笑い、もう一人は私の顔に指をさして、またまた大笑い。 当然どういう意味かは二人とも教えてくれませんでした。
笑い終わった後、PEPEが『あなたはついていますね。スペインに着いた今日、歌い手のエル・ガジーナ(ラファエル ロメ-ロ)とペリーコのギターが聞けますよ。!!』私は二人ともどんなアーティストなのか知りませんでしたが、お願いして、三人で出かけることになりました。
出かける準備に自分の部屋に戻り、“アルボンディガ”をさっそく辞書で調べました。「 えっ! こんな意味!! ・・ちょっと鏡を見て、・・・ま、いいか、今日もお世話になるし、これからも世話になるから。 」と思ったものです。
この私のニックネームになった“アルボンディガ”を一度聞いたスペイン人は二度と忘れません。
( あの『カマロン』(有名な歌い手)も二度目に合ったときに、覚えていました。 )
以来、日本人の友達からも、“ ボンちゃん ”と呼ばれるようになったわけです。
PEPEとTAKEMORIさんに連れて行ってもらった「ペーニャ・フラメンコ」は地下にありました。
昔、アメリカの西部劇の撮影がスペインの南(アルメリア郊外の“ミニハリウッド”)で行われた時、
よくインディアンの酋長役をやったという、カンタオール(フラメンコの歌い手)のラファエル・ロメ-ロが
小さな部屋でマイク無しで歌い、ペリーコ(息子)のギターも、生で、目の前で聞けました。
スペイン人達は、歌の内容に耳を澄まして、食い入るように聞いていました。
そして時々、掛け声を、『オーレー !』と小声でかけるのです。
そして、微笑みながら、相槌を打っています。
ギターが歌を盛り上げ、ファルセータ(メロディー)の、なんともいえない“間”というか、音の“鳴き”を
聞いてか、周りの人たちが『オおれー』と微笑み混じりの掛け声をかけていました。
歌の内容がさっぱりわからない私は、カンタオールの声を聞きながら、座って歌う彼の顔の表情や
手振りを見て、そして、ペリーコの右手のギターに対するタッチや、ラスケアード(フラメンコ独特の「奏法」)、 左手のコードやポジションを見たりしていました。
ペリーコは“顔でギターを弾いている”かのようにファルセータ(メロディー)と顔の表情が一体だったのが印象的でした。
この「 ペーニャフラメンコ 」では、数ヵ月後、ギタリストの『エンリケ・デ・メルチョール』のギターソロも
聞きました。
その時、何と、彼の親父のギタリスト『メルチョール・デ・マルチェーナ』が息子のギターを聞きに来ていました。
エンリケの演奏中に、私たちの方を見た名匠に「おまえさんら、右手の爪が長いが、ギターやってんのかい?」とジェスチャーで聞かれ、友人と一緒に頭を縦に振って「はい」と答えました。
するとギターを弾いている息子の方を見て、右手でギターを弾く格好をして、同じ右手の手のひらを下の向け、その手のひらをゆっくり揺らし( 「息子の出来は、まあまあだ」の意。 )手振りで話してくれました。
あの時の、メルチョール・デ・マルチェーナのダブルの背広姿がとても印象的でした。
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ぼんちゃん紹介
今年(2013年)の夏に、久しぶりに再会した
踊り手の『マノレッテ』と共に。あだ名は「ぼんちゃん」。これは、フラメンコギタリストとして、"エル・アルボンディガ(ザ・スペイン風肉団子)"という芸名を持っていたため。
アルボンディガのボンからぼんちゃんと呼ばれるようになった。
案内するお客さんにも、基本的にぼんちゃんと呼ばれる。
このため、本名を忘れられてしまうこともしばしば。観光通訳ガイドとして、自ら発案した、H.I.S.の「バル巡りツアー」を担当。
軽妙なトークと謎の駄洒落でお酒や料理が何倍もおいしくなると大好評。人気企画となる。
(今は、私のお客様に、マドリッドの下町の『バル巡り』のご案内をしています。)
ご参照:
* 今までの『バル巡り』 <クリック
案内の途中、その見た目と話の面白さから、「綾小路きみまろ」にそっくりだと言われることが多い。
「きみまろって誰?」と質問したところ、帰国後にDVDを送ってくれた親切な方も。
普段は冗談ばかりだが、非常に真面目な性格。話の面白さは、歴史、思想、芸術などに関する 豊富な知識に裏打ちされている。また、以前から、「手作りの旅」も手がけている。 これは、お客さんの希望に合わせて、思いのままに旅をつくるもの。
お手頃な料金で、希望通りのプランを作ることができ、ベテランガイドならではの穴場スポットやレストランに行けると評判。リピーターも多い。
新婚旅行、先生と行く旅、熟年ご夫妻の旅をはじめ、多くの実績がある。
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10月 北スペイン・ピレネー・バルセロナの旅 1 <クリック
10月 北スペイン・ピレネー・バルセロナの旅 9 最終回 <クリック
(文責:南)ツアーや、旅の企画に関する、お問い合わせは、こちらから。なんでもお気軽にどうぞ!
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「エル アルボンディガ」が
お勧めするホテル
*趣のある・ホテル:『カサ・ルラル』(プチホテル)のご紹介<クリック
今、とても人気の、趣のある・ホテル、
『カサ・ルラル』(プチホテル)のご紹介
田舎の「貴族の屋敷」や、「小さな城」、「昔のオリーブの製油所」、
「修道院」、「農園」などが、雰囲気のある『プチホテル』
に改装されて、今とても人気なのです。
私が評判の良い、趣のある『ホテル』を、実際に下見をして、
探しました『カサ・ルラル』を、「旅の企画」に組み込み、ご案内して、
お客さんに好評だった、『カサ・ルラル』を、ご紹介します。
小さな田舎の『趣の在るホテル(カサ・ルラル)』で、
皆さんを「もてなし」てくれるスペイン人との
『心のふれあい』を、是非体験して下さい。
< 総集編 >
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