フラメンコ談義4
フラメンコギターの王様・『サビーカス』
高校二年の春、4万5千円のフラメンコギターを手に入れた時は、本当にうれしくて毎晩寝る前には、ギターについた自分の指紋まできれいに拭いてケースに入れ、自分の枕もとに置いて寝ていました。朝、学校に行く前には必ずギターを見てから出かけました。
ラスケア‐ドも、どこででも練習したお陰で徐々に出来るようになり、始めに習った“セビジャーナス”も様になってきました。そして週一度のレッスンが楽しみで毎晩夜遅くまで弾いていました。寝る前はいつも、『サビーカス』を聴いていました。 そして持っているレコードの曲の楽譜を貰った時はうれしくて夢中になって練習しました。サビカスとそっくりそのまま弾けるわけは無いのですが、弾くことを目指しました。毎日毎日、うまくなっていく自分が、レコードのように弾けるようになっていく自分がうれしくて、他のことはどうでも良いと思っていました。
「君、ちょっと一緒に職員室まで来なさい。」と先生、『あっ!この前の反戦デモに参加したことかな?』、・・・「きみ、何か悩みでもあるのか?ずいぶん成績が落ちてるけど、物理Bがこのままでは落第やな~。」
・・・『先生、僕何も悩みなんか有りません。全然勉強しませんでしたから、あたりまえです、今ちょっと興味があることやってまして、時間かけたら誰でも出来る学校の勉強をやってる暇が無いんです。でも落第はいややから、物理、ちょと勉強します。』
・・・・高校二年の二学期の通知表には赤いボールペンで大きく“1”が光っていました。私は友達に『ほら見てみ、これ。 赤点というのは、本当に赤い1やからそういうのやな~。』『あほかおまえ!』・・と友人。
三学期は先輩から、「親切な物理B」という参考書を借りて、フラメンコギターの王様だと思っている“サビーカス”の大切な練習を少なくし、必死に勉強して、物理のテスト、クラス平均が32点(ぐらい)の時、私は78点、『ふ~ん、皆、でけへんかったんやな~』と自分の答案用紙を机の上に見えるようにおいたものです。
高校三年生になって、まわりは受験勉強。大学紛争、ベトナム戦争、70年安保、万博、・・・・楽しいクラブも辞めていくなか、私は友達とギター同好会を作り、文化祭の時、一年生と“サビーカス”の「ミロンガ」を二重奏。そして、「ファルーカ」「アラビアの夜明け」をソロで弾いたのを覚えています。
未だフラメンコのカンテ〔歌〕も踊りも知りませんでした。 音楽の中のギター、その中でもフラメンコギターに、それも、“サビ‐カス”の『音楽』に引き込まれていきました。
[9回]