佐々木郁夫のぶろぐ
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プロフィール
HN:
佐々木郁夫
年齢:
72
性別:
男性
誕生日:
1952/04/10
職業:
観光通訳ガイド
趣味:
音楽、絵、人を楽しませること
自己紹介:
1978年スペインに渡る。
フラメンコギターをパコ・デル・ガストールに習う。
ドサ回りの修行の後、観光通訳ガイドをはじめる。

現在、
日本人通訳協会会長、
SNJ日西文化協会副会長、
マドリード日本人会理事。

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フラメンコ談義 14
  **  フラメンコは「音楽」ではありません。 **

「アモール」(フラメンコのスタジオ)でギターを弾いていた二人の日本人ギタリストとも友達になり、お互いに影響しあいながら、よくあそびました。
 「Masuko ちゃん」と「Kujira くん」(二人とも現在日本で活躍しています。)とは一緒によくギターを弾きました。 彼らは、ピソ(アパート)を借りていましたので、当然、台所があり、料理が作れて、私はよく遊びに行きました。皆で、なれない料理を作り、量り売りの安いワインを飲みながらフラメンコの話やバカ話をするのが楽しみでした。

 ・・・若い時の、私と「Masuko ちゃん」の写真が、佐藤愛子さんの本の『娘と私の天中殺旅行』に出ています。単行本ではなく、ピンク色の本で、185ページ・「マドリッドのフラメンコの練習場には日本人のギタリストもいた」・・・と写真だけで名前は出ていませんが、 左から、手だけの「テレサ」さん(かわいそう~!)、「Masuko ちゃん」,後ろに立っておられる「佐藤愛子」さん、そして、佐藤さんの娘さん、右の端が私です。・・・(大変おもしろい本です。)・・・

「Masuko ちゃん」のピソ(アパート)で、3人でフラメンコのレコードや実況のテープを聞きながら、『このギターリストはかっこ良いとか、よくないとか』『この実況のテープ聞いてみな !』とか、フラメンコを聞きながら、いろんな話をしたものです。そんなある日、夕食の時間になり、近くの日本レストラン・「東京飯店」に行きました。

 この、ラストロ(のみの市)の近くにあった日本レストランは現在ありませんが、なかなか安くておいしい店でした。経営者の「?」さんはおもしろい人でした。
我々3人が、わらいながら、にぎやかに席に着くと、『今日は皆さん、飛んでられますね~!』・・、「Masuko ちゃん」が言ったのだと思いますが、『今日は、あまり、やっていませんよ! ワインを三人で少しだけやっただけですよ。!』・・・・『失礼しました。ところで、ご注文は?』と聞かれ、3人とも、いつもより、おなかがへっていたので、とにかくたくさん注文しました。

 3人は食べながら、フラメンコの話やギターの事、弦の事、いろんな踊り手の話などを、わいわいと話しながら、お腹いっぱいになりましたが、こちらの習慣、食後にはデザートです。
黒ぶちのメガネをかけた経営者自らが注文に来てくれて(というか、ウエーターさんがもともといませんでした。)、『デザートは何になさいますか?』・・、『Kujira お前何する?』・・、『ボンちゃんは?』・・、結局、おいしい、いつものエラード(アイスクリーム)にしました。

・・・『チョコラーテを三つください。』・・、と言うと、『うちは、そんな不純な物はおいておりませ~ん!』・・『えっ? アイスクリームは無いのですか?』と「Kujira くん」が笑いながら言うと、・・・、『エッ!・・アイスクリームのチョコレートですか?、アッ! それならあります。いまお持ちしますので。』・・・3人で大笑い。(??)

 あっ そうそう、「Masuko ちゃん」のピソ(アパート)の隣には今は有名な、「堀越千秋」さん(画家・カンタオール)が住んでおられ、時々、カンタオールの「アグヘータス」を見かけました。

ある日、「Kujira くん」のピソ(アパート)に行くと、「Bomba ちゃん」(現在も日本で活躍しているギタリスト)が、「どさまわり」というか、巡業の仕事から戻ってきていました。 (後に、私もした「どさまわり」についてはまた詳しく書くつもりです。)
「Bomba ちゃん」から、スペインでの仕事の話を聞かしてもらいました。自分も何時か、出来たら良いな~とその時思いました。

ある日、『ボンちゃん、パコ・デル・ガストールというギタリスト知ってる?』と、「Masuko ちゃん」から聞かれました。『ガストール ?』・・・私は知りませんでした。

・・・・『 「トーケ デ モロン」といってね、 「パコ」の伯父さんが、「ディエゴ・デル・ガストール」というギタリストなんですよ。・・・ 』・・・と、その時いたギタリストの「ぺぺ」から、いつものように教えてもらいました。 その「パコ」のギターが今、マドリッドで、聞けるというのです。

私は、スペインに着いて数ヶ月目に、「パコ・デル・ガストール」のギターを聞いてしまいました。・・踊りの「ファイーコ」と、歌い手―「ガスパル・デ・ウトレラ」の伴奏、そして、今は亡き「バンビーノ」のブレリアや、ルンバの歌の伴奏。

・・・歌と踊りとギター、そしてその場(客を含む)のアイレ(雰囲気)が一つになる『場』に自分が居て、自分が日本人であることが、そして、まだよくフラメンコがわからないのに『こんなすごい雰囲気の場』にいる自分が信じられず、(ここにいてもいいのかな?)と、一瞬、思ったのをよく覚えています。

・・・『 そこの、日本から来たお兄ちゃん、我々と同時に「オーレ!」が言えない?・・・スペイン人にだって、わかんないやつはいるんだから、気にするな、好きなんだろ、少しは分かっているようだから、我々と一緒に楽しめばいいんだよ !』・・・

・・・と周りから言ってくれているように感じたのです。というのも、周りの多くのスペイン人と目が合っても、変な顔は見せず、『今の見たかよ! よかったな~』『今のギター聞いた? 最高だな~』・・・と私に本当に言ってるように、そして仲間に入れてくれているんだ、と思えたのです。

そして、何日も通って、身体全体で『フラメンコ』を感じられたことは、本当についていました。・・・
 この時に録音したテープは、後に「パコ」にも「モロン」まで持って行ったし、「ディエゴ」が好きな日本の高瀬さん(私の友人)にもお土産にしました。

 この隠して録音した「実況テープ」はとにかくよく聞きました。とくに、ギターで気持ちが入らず、落ち込んだ時や、後の「どさまわり」の仕事の時、自信を無くした時も。とにかく聞くと、元気になり気持ちが湧いてくるのです。

そしてこの時、フラメンコは、 音楽とは違うな~ 、もっと奥の深い『 何か 』があるな~と身体で気付きました。
 しかし、フラメンコが心底好きでわかるスペイン人と、私自身のなかから、本当に感じて「オーレ~!」と、同時に言え、『 何か 』を共有して話せるまでには、この後も、何年もかかりました。     

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ぼんちゃん紹介

本名:佐々木郁夫
誕生日:1952/04/10
職業:観光通訳ガイド
居住地:マドリード
役職:日本人通訳協会会長、マドリード日本人会理事
連絡先:こちら

あだ名は「ぼんちゃん」。これは、フラメンコギタリストとして、"エル・アルボンディガ(ザ・スペイン風肉団子)"という芸名を持っていたため。アルボンディガのボンからぼんちゃんと呼ばれるようになった。
案内するお客さんにも、基本的にぼんちゃんと呼ばれる。このため、本名を忘れられてしまうこともしばしば。 続きを読む

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