フラメンコ談義・13
** 「コンパス」が身体に響く『パコ・フェルナンデス』のグループレッスン **
生活にもだんだん慣れて、土曜日と日曜日は、日本で弾いていたギターソロを練習し、
月曜日からのスタジオでの、踊りの伴奏が楽しみになってきました。
日本で、フラメンコの踊りの伴奏をほとんど経験したことの無い私にとって、「アモール(・デ・ディオス)」(フラメンコ・スタジオの通称)での、「パコ・フェルナンデスのクラス」のお蔭で、フラメンコの「コンパス」(リズム)が、身体で理解できたと思っています。
パコ・フェルナンデスのグループレッスンが行われた部屋は、「アモール」のスタジオの中では、一番大きな部屋でした。
パコのレッスンを受けている人の中にはプロの踊り手もたくさんいました。彼女達はクラスが始まるまで、よく練習していました。それぞれが自分の苦手な「パソ」(左右の靴によるフラメンコのリズム)を何回も繰り返し、コンパスに入れようと(フラメンコのリズムに合わせようと)練習していました。
『ポルファボール、トカ、ソレアー(ソレアーを弾いてくれるかい、)』・・・パコがギターリストに小声で言いました。
・・・「ソレアーを教えてくれるんだ~」「ソレアーよ!」と、レッスンを受ける彼女ら生徒が顔を見合わせ、・・・シーンとなり、・・どんな「振り」を教えてくれるのかと、それぞれの顔が緊張しながら、パコを見つめています。
パコのクラスでギターを弾いていたのは、「ホセ・ルイス」というスペイン人で、彼は、タブラオ『コラール・デ・ラ・パチェカ』のギターリストでした。
彼の横には、スペイン人やアメリカ人、そして日本人のギターリストが並び、多い時には7、8人が勉強に来ていました。
当然、というか、謙虚に、私は「ホセ・ルイス」から一番遠い端の椅子に座りました。
ギターの音合わせですが、「ホセ・ルイス」が、ギターの音「ラ」を一度だけ、「ラ~、ラ・ラ~」とくれるのですが、レッスンの部屋がうるさくて、合わせるのに苦労しました。
ホセ・ルイスが「ラスケアード」(フラメンコ奏法)で「ソレアー」のコンパス(リズム)で、「ジャマーダ」(踊り、又は、ギターソロで、一つの区切りの時、「〆る」時のリズム)を弾き、ファルセータ(小メロディー)を弾き始めました。
パコは、そのギターをじっくり聞いています。・・・『オトラベス、ポルファ ボール』(もう一度弾いてくれ)・・・・パコは、その場で出てくるイマジネーションをもとに「振り」を付けていくのです。 一つの区切りの「振り付け」が決まると、皆に自分の振りを盗むようにと、何度も繰り返し踊り、できない人に個人的の「ここは、こうするのだよ」と教えていきます。
「歌振り」も基本的な振りを教えてから、カンタオール(フラメンコの歌い手)を呼び、実際に歌を聞きながら「歌振り」を振付けていきます。よく来ていたカンタオールは「アルフォンソ」といって、今でも、マドリッドのタブラオ・フラメンコ「トーレス・ベルメハス」で歌っていますし、日本にも何回も仕事に行っているようです。
このようにして、ギターとカンテ(歌)を聴きながら、その時のイメージで振付けていき、どんどん「振り」が湧き出てくるパコの姿を近くで見ることができました。サパテアード(フラメンコの足(靴)の技)で、・・・こうでもない、・・・これでもない、・・・・・『コレダ~!・・』習っている皆が、『シ~、 シ~(ok~)それがいい ~ !オトラベス(もう一度やって)・・?』。言うのですが、本人のパコは、『 どうだったっけ?』と聞き、生徒から、『こんなんだったんじゃない。』・・・『そう、そう、これだよ!』
・・・・というふうにどんどん振り付けがされていき、あっという間に、時間が過ぎ、クラスが終わってしまいました。 新しいパソ(振りや足)が、どうもコンパスでわからない生徒が、必死にパコに聞いたりして、部屋から出ても皆で、今習った「振り」やサパテアード(足の技)について廊下でも話していました。
パコのグループレッスンは常に熱気があり、そして、座ってギターを弾いていると床から、フラメンコのコンパスがグループ全員の足音となって、どんどん身体に伝わってきました。
始めは、コンパスを数えていましたが、やがて、頭でわかろうとしていた自分が、コンパス(リズム)の「ノリ」を、身体でわかってきたと思えた時、とてもうれしく、スペインに来てよかったと思ったものです。
[8回]